1.秩父宮妃勢津子殿下記念事業委員会の発足(平成13年12月25日)
私たち会津人が心から敬愛してやまない秩父宮妃勢津子様が誕生されましたのは明治四十二年九月九日重陽の節句の日にあたります。
勢津子様は最後の会津藩主松平容保公四男にあたる恒雄様そして信子様ご両親のもと、厳しくも温かい会津の心、会津の教えに育まれました。そして多くの苦難が待ち受けることもお知りになりつつ皇室からの御婚儀の申入れをお受けになられる強い意志と広いお心をお持ちになられ、会津の人々の大きな希望を一身にお受けになり、昭和三年九月秩父宮雍仁親王殿下のお妃として御輿入れになられました。それは会津松平九代藩主容保公が幕末の混乱の中で孝明天皇の篤いご信頼を頂いたにも関わらず、戊辰戦争において、いわれのない朝敵の汚名を受け、さまざまな蔑視や障害のもと大変苦しんだ時代でありました。
それから六十年、勢津子様の秩父宮家への御輿入れは、まさに会津にとって苦難の歴史と汚名をすすぐ希望の光でありました。
勢津子様は、雍仁親王殿下を良く支えられ、直宮妃として多くのご功績とご責任を果たされ雍仁親王殿下ご薨去の後は秩父宮家をお一人で支えられ会津にも度々お運びになられ励ましと温かいお言葉を賜りました。
平成7年8月25日、勢津子殿下が薨去され、平成8年8月の財団法人会津保松会理事会において妃殿下の顕彰記念館構想が発議されましたが、ご遺品が秩父宮記念公園に遺贈されたことにより見合わせとなりましたが、平成13年12月25日会津会と会津保松会が合同で妃殿下の顕彰碑を建立するため、委員会を発足しました。
名誉顧問 松平 保定 (会津松平家十三代当主)
名誉顧問 松平 恒忠 (妃殿下御実家)
委 員 長 川島 廣守 (会津会会長)
副委員長 鈴木 善九郎(会津保松会前理事長)
幹 事 長 宮森 泰弘 (会津保松会理事長)
平成15年9月 7日 御薬園にて顕彰碑建立除幕式を執り行い、記念誌”重陽”を発行
平成16年2月18日に目的を終了したことにより記念事業委員会は解散する
2.秩父宮妃勢津子殿下顕彰委員会の発足(平成16年2月18日)
記念事業委員会の解散を受け、新たに勢津子殿下のご遺徳を末永く語り継ぐ為に名称を変更し、顕彰委員会を発足しました。
顕彰委員会では、重陽閣に於いて5月4日に行われる会津松平家お花まつりに顕彰献花式、9月9日の御生誕日に重陽祭を執り行っています。
名誉顧問 松平 保久 (会津松平家十四代当主)
名誉顧問 松平 恒忠 (妃殿下御実家当主)
顧 問 柳澤 秀夫 (会津会会長)
委員長 宮森 泰弘 (旧)財団法人会津保松会理事長
幹事長 林 健幸 会津松平家奉賛会会長
平成16年 8月25日 豊島丘墓所勢津子殿下御命日墓参
平成17年 5月 4日 重陽閣内に勢津子殿下”想ひ出の部屋”を開設する
平成21年 9月 6日 勢津子殿下御生誕百年記念「重陽祭」を執り行う。記念誌”想ひ出”発行
平成23年 8月 9日 松平保定氏ご逝去により、名誉顧問に第十四代保久氏が就任
平成24年10月13日 会津会会長に郡荘一郎氏就任により顧問に就任
平成24年12月 9日 顧問川島廣守氏逝去
平成26年10月25日 会津会会長に伊藤文大氏就任により顧問に就任
平成27年 8月25日 秩父宮妃殿下葬去二十年祭典参列(豊島岡墓所)
平成28年 3月11日 追悼誌「追想 秩父宮妃殿下」出版記念祝賀会 出席(京王プラザ)
平成29年 3月 1日 顧問伊藤文大氏逝去
平成29年10月28日 会津会長に柳澤秀夫氏就任により顧問就任
平成30年 9月 1日 〜 9月26日 会津戊辰戦争150周年、秩父宮妃殿下ご生誕110年記念、ご成婚90周年記念写真展(御薬園)
平成30年 9月 9日 秩父宮妃殿下御生誕110年記念重陽祭(御薬園)
同祝賀会(ホテルいずみや)
平成30年 9月28日 秩父宮妃殿下御成婚90周年記念「写真展並に映写会」(会津若松商工会議所ホール)ゲスト 松平恒忠氏講話